今回は,シュガー・ラッシュ:オンラインのヴィラン(悪役)と製作段階を踏まえて,ディズニーのヴィランズ像の移り変わりについて考察したいと思います。
シュガー・ラッシュ:オンラインには悪役がいない!?
映画を観た人なら分かると思いますが,この映画には登場人物としてのヴィランがいません。ラルフ自身の感情がこれの代わりになっているからです。
製作段階で考えられていた幻のヴィラン
実は,製作段階では,B.E.V.というヴィランが構想されていたようです。
B.E.V.はBuilt to Eradicate Virusesの頭文字をとっているようですが,直訳すると「(コンピューター)ウイルスを根絶するために造られた」という感じでしょうか…
このキャラクターは,(架空の)ウイルス対策ソフトウェアInterneat(おそらくInternetとneat(整理整頓されたの意)を組み合わせた造語だと思います)の所長としてインターネットを保護しているように見せながら,実はヴィランであるという設定だったようなので,映画のフィナーレの場面の,ラルフのクローンをウイルス対策ソフトエリアに連れて行く場面にでてきたのかもしれませんね!
しかし,製作チームはラルフの心情の変化がヴィランのかわりになると考えて,最終的にB.E.V.を映画に登場させないと決定したようです。
(ちなみに,映画での出番を失ったB.E.V.ですが,(アナハイムの)Disneyland ResortとWDWのVRアトラクションRalph Breaks VRで悪役として活躍してます!)
変わりゆくディズニーヴィランズのあり方
ヴィランがいないという今作は,新たなディズニー時代の始まりなのかもしれません。
ディズニー作品はその始まりから長い間,ヴィランズという存在に頼ってきた側面があると思います。
ディズニーヴィランズのはじまり
白雪姫からの長い間のディズニー作品は,悪役がストーリーの初めから明確で,最後に悪役を倒してハッピーエンドという流れが一般的でした。
ディズニーヴィランズの多様化
しかし,Disney Revival(第3の黄金期)からは,
「シュガー・ラッシュ」のキャンディ大王,
「アナと雪の女王」のハンス,
「ズートピア」のベルウェザー,
「ベイマックス」のキャラハン教授など,
最初は善人として登場して,主人公や観客をだまし,物語の後半でヴィランであることが判明するという流れが多くなりました。(個人的にはこの流れは本当に好きです。伏線がたくさんあって楽しいですよね)
また,ヴィランズの多様化も起こっていると思います。
たとえば,キャラハン教授には悲しい過去がありました。
ベルウェザーもキャンディ大王も,市民や国民の集団心理を巧みに利用していました。
映画以外でのDisneyChannelなどのTVシリーズでも
「ソフィア」のセドリックは,話を重ねてソフィアと接するうちに良い人になっていきました。
「ラプンツェル ザ・シリーズ」のヴァリアンも「グラビティフォールズ」のビルも複雑な心理を持っています。
「フィニアスとファーブ」のドゥーフェンシュマーツにいたっては,ぜんぜん邪悪じゃな……(いや…博士のために邪悪ということにしておこう…)し,主人公以上に同情してしまいます。
といったように,目的や性格が様々になっています。(Disney Revival(第3の黄金期)はDisney Television Animationの成功ももたらしました)
人物としてのヴィランから感情としてのヴィランへ
そして「シュガー・ラッシュ:オンライン」,ついにヴィランは人物ではなく,ひとつの感情として登場しました。
製作段階にいたヴィランB.E.V.は,善い人に見せかけて実はヴィランというキャンディ大王やベルウェザーと同じようなDisney Revival(第3の黄金期)ヴィランです。
しかし,製作チームはラルフの感情が代わりになるので,ヴィランは必要ないと判断しました。
ディズニーはこれまで頼ってきたヴィランズ(キャラクター)という存在を使わない新たなハッピーエンドを模索しているのかもしれません。
ただ,これは簡単なことではないと思います。
感情としてのヴィランを倒すのは,その感情を持つキャラクターの気持ちの変化だからです。実際「シュガー・ラッシュ:オンライン」では,ラルフの不安定な感情をコピーしたクローンを物理的に倒したわけではなく,気持ちを変化させることで解決しています。この気持ちの変化というものは,本人にとってはとても大変なことであり大きなものですが,第三者が見たときには,たった一人の感情の変化としてとても小さなものに見えてしまうかもしれません。
これまでのDisney Revival(第3の黄金期)の映画の終わり方は,多くが映画の中に散りばめられた伏線を最後に一気に回収して,おぉ!と思うような方法で問題を解決し,すっきりした気分で映画が終わるというものが多かったと思います。(例えば,「シュガー・ラッシュ」のメントスコーラとか,「ズートピア」のブルーベリーとか)
これにくらべると,“感情としてのヴィランの克服”を迫力のあるフィナーレにするのは難しいのかもしれません。(迫力のあるフィナーレが良いとは限りませんが…)
また,映画ごとのオリジナリティーを出すのも難しくなるかもしれません。
これまでの方法では,それぞれの世界観や物語の流れにあるアイテム(メントスコーラ火山やブルーベリー)を活用して問題を解決でき,“その世界観だからこそできた”感を出すことができましたが,“感情の克服”はどうしても画一化してしまうかもしれません。
しかし今のディズニーならば,このような難点を解消し,(キャラクターとしてのヴィランを使わない)新たな物語の手法を大成させることができるようにも思います。
「ズートピア」で,ディズニーは“エンターテインメント性とメッセージ性の融合”,“古典的な表現方法と現代的な表現方法の融合”というDisney Revival(第3の黄金期)のテーマを完成形にしたと思います。完成までには,「ボルト」や「ラプンツェル」「シュガー・ラッシュ」などの作品を通して試行錯誤があったのかもしれません。
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